25日からニヒル牛2で、「さいごの野あそび」展が始まります。この展示に合わせて、わたくし2コの、草花とのたわむれについて書いた本『2コの野あそび』を発売します。装丁・製本は、吉祥寺のクイーンズホテルアンティークのりみさんにお願いしています。野ゲーキの写真も入ります。只今ニヒル牛2で展示「Kは見ていた」開催中のカブラギさん、大先輩・プリンのため息のミツリンゴさんによる野ゲーキ写真も収録予定です。
そして、初日25日には、わたしはなんとなくお店にいて、近隣の草花を集めて野ゲーキしたり、買い物したり、お客さんと草花トークかましたり(不要な場合はすごすご引っ込みます)したいと考えています。カモン!たつお!
それで、服装の更新ばかりになってしまった当ページにも喝を入れるべく、本でボツにしたエピソードが、どちらかというと朦朧見聞録向きだったので載せますよ。お読みになって。
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桑とバラモンジン
この本を書くために幼い頃の草花遊びの記憶を辿っていたら、居ても立ってもいられなくなり、生まれ故郷の上田を約5年ぶりに訪れた。生家の近辺をゆっくり歩くのは15年ぶりほどにもなろうか。
通っていた保育園の前を通ったあたりで完全に時間が巻き戻ってしまった。生家の裏側の、大学の敷地を取り囲むように流れているどぶ川。引っ越してからはいつも夏ばかりに帰郷していたから、上田の記憶の大半は夏だ。ガードレールも何もないどぶ川のふちを歩きながら、いつも流れに沿ってなびく緑色の長い藻ときらきら眩しい水面を見ていた。そこは何ひとつ変わっていない。なびく藻を見ているわたしのまなざしは、3歳のでもあり10歳のでもある。川をはさんだ大学の敷地に赤いタチアオイが咲いているのに遭遇した時にはくらくらした。
生まれた家は学生向けのアパートになって跡形もなかったが、塀の向こう、祖母の寝室の窓から見えていた大きなケヤキの木は健在で、わたしもその部屋に寝かせてもらっていたことがあったので、眠りを見守ってくれてありがとうという厳かな気分になった。セミがたくさん止まって早朝からミンミンと騒がしい木ではあったが。
上田の街には高低差と細い抜け道が多い。駅の周りはずいぶん様子が変わってしまったが、少し歩くと猫の通り道のような路地が無数にあり、わくわくしながら入っていくと古びた人家やトタン塀、色とりどりの草花がごたごたと並び、ノスタルジックな気分が押し寄せる。細い坂道というものにもわたしは心惹かれる。日傘を差して坂道を下りる祖母の後ろ姿がきれいだなと、写真を撮ったこともある。こういう地形はどこか夢の中を思わせる。
養蚕のさかんな地だったため、そこかしこに桑の木がある。上田城の周りの街路樹は枝垂れ桑だ。スーパーには桑の実のジャムが売っている。だから、桑という植物にはとても親しみをおぼえる。今住んでいる家の庭に数年前とつぜん桑の木が生えてきた。鳥の落とし物から芽生えたのだろう。この辺ではあまり桑を見ないから、初めの数年は、桑によく似ているコウゾかなと思っていた。コウゾの実は食用に向かない。子供の頃食べたことがあるが、毛が口に刺さるし、ねちょねちょとうすら甘いだけでおいしくなかった。桑だといいなと思いながら抜いたりせず成長を見守った。
桑の木は雌雄異株であることが多いと知り、「メスの桑メスの桑」と念じ続けた。果たして昨年、初めての花をつけた。これは、この花は、桑だ。わたしは驚喜した。庭に生えてきた桑の木から採った実でジャムが作れる!夢のようだ。季節の果物でジャムを作るのはここ数年の習慣となっている。まだ若い木であり、サッシのすぐそばに生えたものだから両親がばさばさ伐ってしまうというのもあり、実のつきは良くなかった。ジャムを作るには量が足りない。しかし、桑のある暮らしに馴れた目で見ると、桑というものはじつはそこいらじゅうに野生化していることに気づく。仕事の帰り、少し遠回りして野良の桑の実を摘んでいく。摘んだ実の様子を見るに、野生化しているものの中にも何種類かあるようだ。それらを足して、やっとある程度の量のジャムを作ることができた。
今年は、保存用の小さいホーロー容器を直接火にかけて少量を煮て、新しく熟すたびにそこに少しの砂糖とともに足して煮直した。パンに塗って食べるとぷちぷちとした小さい種が小気味よく、濃い紫色をそのまま味にしたような深みのある甘さが口の中に広がる。豊かな風味だが決して重たくなく至って素朴なものだ。それが好ましい。
それから特記するべきは、桑の新葉の美しさだ。これを目の当たりにしたら、コウゾとの違いなど歴然たるものなのだった。ぽつんと出てきた小さな芽が、みるみる膨らんであっという間に透き通るようなきみどり色のやわらかい葉に展開していく。重なって光に透ける様子は息を飲むほどだ。それで納得がいった。養蚕が世界各地で根付いて続いてきた要因のひとつはおそらく、蚕の食草である桑が栽培しやすく成長の速い植物だからだ。もし蚕の食草が、芽生えにくく土壌を選びひと月に3枚くらいしか新しい葉を出さない植物だったなら、とても産業にはならないだろう。
桑への想いを新たにしながら、なおも歩く。うちを出て、左下の方。夢には、生家と前の家がわりと頻繁に出てくる。どちらが出てくる時も、たいてい何者かに追われて逃げる夢だ。上田のうちの時は、何故かいつも左下に逃げる。坂道の途中にケンタッキーフライドチキンがあって、その手前を左に入る。大きな道に出るとつかまってしまうから、細い道をどんどん行く。植物が茂っている。その通りに歩きながら、「あ、これ、夢でよく逃げてくる辺りだ」と思っていた。時間も世界もぐにゃりと撓んでしまったようで、こういう気持ちにいつだってなりたいのだとほくそ笑む。
その時、草ぼうぼうの空き地に不思議なものを見た。褐色の、幾何学模様のぼんぼり。あまりにこの気分に似つかわしい、夢の中っぽい何か。それはどうやら巨大な綿毛のようなのだった。けれど、まだ開ききっておらず、ふわっと広がるはずの先端がくっついたままなものだから、筋の入った紡錘形の集まりの骨格、といった感じの見慣れないかたちになっていたのだ。こんなばかでかい綿毛は見たことがない。草全体の様子からするとアザミでもないし。
わたしは狐につままれたようになって、とりあえずその綿毛をひとつ頂戴し、またふらふらと歩き始めた。綿毛は触った途端にふぁっと開き、見慣れた形になってしまった。調べたところ、バラモンジンという植物だと思われる。蚊に喰われながら綿毛を提げて気の赴くままにこれだという路地を入っていくと、ひとのうちに入ってしまったのかと錯覚させるくらい庭や畑が近いところを彷徨うことになった。ほとんど人と遭わないのも現実感を失わせていく。
こつん、ころこと音がして、トタン屋根づたいに青く小さい柿の実が落ちてきた。それをすかさず踏みながら、誰もいない路地を歩いていてこんなふうに、ちょうど目の前に柿の実が落ちてくる確率ってじつはものすごく低いんじゃないだろうかと考えて、少しこわくなった。
池をたずねて
祖母に連れられて行った散歩のコースのうち、最も遠くてスペシャルに感じていたのが「ときだいけ」だった。祖母は「ときだけ(アクセントは平坦)」に近い発音で言っていた。夏の帰郷の折にも全く寄らなかった場所なので記憶があまりにおぼろげだったが、そのスペシャル感だけははっきりと残っていた。
せっかくの「取材」なのだからまた行ってみようとインターネットの地図サービスで名前を入れてみたが出てこない。あの近辺だけで呼ばれていた愛称なのだろうか。だが、名前こそ表示されないものの、ここではないかという水たまりが地図上にはあり、ほとりに「レイクサイド」というホテルがある。久しぶりに会った祖母に確かめると、「湖?だれー(違うよ、の意)、ときだ(い)けはときだ(い)けだに。あっこ(あそこ)はうちからもっと上の方に行ったとこ。昔はなーんもなかったけどさ、今は家がびゃーっと建っちゃってね」ということで、地図で出てきた水たまりがやはり「ときだいけ」なのらしかった。
歩きすぎてもう足が痛かったがここだけは行ってみようと、地図を参照しながら歩くと何のことはない、大学の敷地を越えて道を渡ったらもう着いた。とは言え、未就学児の足では結構な距離だろう。「うわー、あった!」と思わず声が出た。記憶の中よりは小さいが、記憶の中より小さいんだろうなと思っていたよりは大きい池だった。池のほとりは遊歩道になっていて、桜が植わっている。叢の中にホタルブクロが咲いていた。当時はもっと鬱蒼としていたように感じていた。何にせよ、長いことぼんやり気になっていた場所をこの目で確かめることができて満足した。