更新ペースが守れなくてごめんなさい。今までの「あー、書けねえ!」というのとは全然違うレベルで職場がひどくって、肉体労働による肉体疲労、作業に慣れない人を任される精神的疲労に、少々へたっておりましてね。そんなふうにがーっと働いてると一週間が早すぎて、なにがなんだかわからないのよ。
関西遠征記はまた次回。
その朝。
昨夜スーパーのおつとめ品コーナーで買ってきたマスカット(だろうか、品種が書いていないのでわからぬ。とにかく白ぶどう)を、ジャムにするべく流し台に立つ。実を房から外して洗いながらひとつぶ食べてみる。甘い!甘い!甘い!のどにからみつくような甘さ。そして、マスカットの芳香。いや、わかんないんだけど、記憶の中のマスカットの香りと一致したのさ。
おいしい。
おいしいのだが、ジャムにするということは、これに砂糖を加えて煮るわけだ。甘い!すごい甘い!ジャムにする果物には、酸味が欲しい。なぜなら砂糖を入れるからだ。のどにからみつくように甘いこの果物に、砂糖を足すのはどうなのか。
などと考えながら、もう2、3粒たべた。
わたしはジャムを常備する習慣をもつまで、生食するために果物を買うということを、あまりしなかった。果物を食べたいと、思いつきもしなかったのかもしれない。ジャムは、朝食のトーストに塗るために煮る。というか、ジャムを煮たくなったのに合わせて、朝食をたびたびパンに変えたのだ。ジャムを煮たくなったのは、前にも書いたかもしれないが、よしながふみの『きのう何食べた?』で、筧史郎がイチゴジャムを煮ているのを読んだからで、他のジャムも煮よう、切らさないようにしよう、と思ったのは他でもない、エバさんの当マガジンの連載を読んでいるからだ。
そして、ジャム用に果物を買ってくると、必ず下ごしらえしながらかなりの量を生で喰ってしまう。ならば初めから生食用に買ったらいいじゃないかと思うのだが、そうなるとどのタイミングで食べていいのかわからない。ジャムは食事の一部だから迷わないのだ。生食用にいつも買ってある果物はバナナだが、これも完全に食事の一部だ。
そういったわけで、いつも果物は流し台で洗いながら、まな板で切りながら食べている。
で、ジャムだ。
房から外した推定マスカットを包丁で縦半分に切っていく。つまようじの頭で種をほじくって外す。この種、まこうかな、とぼんやり考えてうつわに取ったのだが、めんどくなって結局捨てた。ぶどうの種は油を取るくらいだから酒に漬けてもいい香りはしない気がした。これがあんずやプルーンの種だと、ホワイトリカーに漬けておく(プラムは種と実がくっついて離れづらいことが多いので一緒に煮てしまう)。マジックペンのインクにも似た、アマレットの香りになる。
たぶんもう一回カットしたほうがいいんだろうな、と思いつつものぐさなので半割りにしたまま、ジャムを煮るにはかなり少量の砂糖をまぶし、鍋をゆすって水分を出し、火にかける。砂糖は、エバさんのまねをしてきび砂糖を使っていたのだが、たまたま見かけたのでてんさい糖というのを買ってみた。砂糖大根のやつだ。オリゴ糖を含んでいるから腸にいいらしい。舐めてみるともんわりした甘さ。あるとき白砂糖をやめて三温糖にしたところから、使う砂糖がさらに茶色くなっていっている。いい意味での雑味があるからだ。極めつけは黒砂糖だろう。塊をそのままかじると、苦味・渋み・酸味などが入り混じった複雑な甘さがぐわーっと脳に染み込んできて、疲れがふっとぶ。しかしかなり強い素材でなければ太刀打ちできないだろう。てんさい糖は茶色いが、そういうよい雑味が強くはなく、きび砂糖の方が雑味がありつつ丸い味になるので、ひと袋使い終わったらまたきび砂糖に戻そうと思う。
甘いマスカットにもんわり甘い砂糖をまぶして煮始めたら、なんだか締りのない甘い物体になってきたので、冷蔵庫をごそごそやってライムを探り当て、急いでしぼる。レモンの方がいいのかもしれないがなかった。それから、青い瓶のジンも少し入れた。ほんとうは白ワインとかの方がいいのかもしれない(なかった)。味が立体的になった。
こんな感じで、ひどく手探りで毎回ジャムを煮ている。なにこれうまーい!となる時もあれば、これはちょっとつらいなというのもある(主に柑橘類。ママレード。皮の下茹で時間や、中の袋の硬さを見誤りやすい)。が、どれもバターと一緒にトーストに塗ったりヨーグルトに入れたりして、日々たんたんと消費しているわけだ。
このようなフル〜ツデイズを送るわたし、先日初めて心の師匠?エバさんの新しい工房にお邪魔した。黄色い壁の細長いかわいらしい、エバさんの城。ジェラート頼んだら、「先にお代もらっていい〜?もらい忘れそうになるのよう。一回あったのよう」と言う。「エバさんぽやんとしてんなー」と言ったら、「なによう」と口をとがらせた。みなさん、エバさんって、あの文章そのままのしゃべり方なんですよ。お店には、「偽パリジャングッズ」と称して、トートバッグに布製のバゲットを入れているナイスな男子や家族連れの方、わたしが「どっかいいパン屋ないかな!?」と騒いでいたら教えてくれる方などが来て、なんだか自然に会話していました。あの狭さと、エバさんの雰囲気がそうさせるのかな。エバさんはひとりひとりとゆっくり接していて、オーダーを待っているほうもその「たくましくとろい感じ」みたいのに浸されてそれを呼吸して、なんだかおもしろい。店の中の時間は外と少し違う感じ。おしゃれであかるくかわいいのだけれど、入ってみると懐が深い感じ。店をもつってすごいことだなと思いました。
その時冷蔵庫にはりんごのジャムが残っていたし、今朝煮たマスカットもあったので、エバジャムは小瓶のを買いました。秋映というプラムのジャム。
翌日の朝ごはんは、自作のジャム2種類とエバジャム、3種類のジャムをかわりばんこにつけて食べる、豪華なトーストとなった。
わたしはひれ伏したね。
ぜんぜん、ちがう。
使ってる果物の違いとかではもちろんなく、果物に対する覚悟や思い入れの違いである。肚の座りぐあいである。ひとつのジャムに、涙ぐみたくなるようなロマンチックな情景とか、その果物が成っていた時にもっていた色や香りの美しさを想像させるような何か、何だろう、そういう魔法、魔法と言ってしまうと簡単だけれども、そういうワザ?エッセンス?が、込められているのでした。雲泥の差とはこのこと。
だけれども、わたしは自分のジャムを喰い続けるであろう。エバジャムを食べることにより、わたしのジャムはもっとおいしくなることを確信した。もちろん、果物の入手先は近所のスーパー、時によってはそのおつとめ品コーナーであるわけだが、それでも、ジャムのさらなる可能性を、見せてもらったからね。かつ、またあの工房で、あすこの女主人の「たくましいとろさ」に浸されながらジャムを買うね。
・・・・というわけで、大塚愛並みにジャムまみれの2コでした。
ゆるぼ、ってやつしてみます。
10月27日(土)に、石川浩司さんがわが街・古河のスパイダーというライヴハウスにいらっしゃいます。もしこのライヴを観に行かれる方、昼間わたしと遊びませんか?宇都宮線の、古河のいっこ手前の「栗橋」という駅に降りて、珍スポットマニアの間ではけっこう話題らしい、「定福院」行きません?ここは羅漢寺なんですが、そこら辺の人が彫ったかなり自由な・また素人くさい羅漢様、果ては、ドラえもんやだんご三兄弟まで境内に所狭しと並べてある、愉快な寺です。もし興味おありの方いたらコメントやツイッターなどでお知らせください。他、最近見つけたゴミ屋敷、倉の町並み、デッドストックの文房具ありそうな薬局、利根川などご案内できると思います。誰も来なくてもわたしはこの日は珍寺行って石川さんに会いに行くけど。でも知らない人があんまりたくさん来ると緊張するなー(どっちだ)。