昔、宝物にしていたビー玉がありました。
無色透明な球の中に暈色がにじんでいるビー玉で、手の中で転がしているだけでいい気分だったんだけれども、いちばん好きだったのは目に近づけて覗くことでした。視界をビー玉でいっぱいにすると、うっとりする虹の世界がひろがっていました。くるくる回すと、見える色彩とそれが織り成すかたちが刻々と変わって見飽きないのです。庭の葉っぱを透かすとみどりの中に虹が、暗いところでは秘密のことのようにひっそりと赤、オレンジ、黄色がぽわっと灯りました。
2日間の、「円盤夏祭り」を終えて、なんだかその虹色の世界のことを思い出しています。
渋谷O-nestでおこなわれた、高円寺
円盤の出張・集大成イベント。
わたしは去年の夏祭りから、物販スタッフとして参加させてもらっています。
円盤店主のたぐちさんは、つねづね東京の音楽シーンが閉じていってつまらなくなっていることに憤っていて、それを打開しようとしています。始まる前から演者とお客の関係が約束されてしまっているのって、何も新しいことが起こり得ないってことですよね。目利きぶって批評しに来る客とかもほんとお粗末だしどうでもいいと思う。そういう客相手に通好みの小賢しいライヴするやつはもっと嫌だし、友達の輪に安住してぬるいゆるいナメたステージかますやつはとっととやめろと思う。
まったく知らないものに触れて、思いもよらなかった気持ちになる、そういう愉しみが生まれる場が欲しいと、たぐちさんはおもっているんじゃないかな。
今回の夏祭りでは、たぐちさんも「見てくれる人たちの力が実感できた」とHPに書いていますが、お客さんがほんとうに貪欲に祭りを楽しもうと、前のめりに来てくれたとわたしも物販ブースにいて感じました。
(おそらく)今まで知らなかったバンドを見て、わあいいな!と思って急いでCD買いに来てくださる方が何人もいました。物販ブースをじっくり見て、何度もたくさん買いに来てくださった方も。
黄金町「視聴室」のフードも、みんな食べてましたね。
ライヴを全身で楽しんで、ご飯モリモリ食べて、お酒も飲んで、おみやげにCD他を買って帰る。
元気。元気だった、今回の夏祭りは、とても。力が湧いてくる感じ。
わたしも物販しながら、時々抜けさせてもらって下のフロアに行ってライヴみました。
(この祭りは、2フロアをぶち抜きで貸し切りにして行われます。物販は上のフロアで行っています。)
なんといっても、手ノ内嫁蔵のファンになってからは初めて、嫁蔵ボーカル&ハーモニカの石井モタコさん率いるオシリペンペンズをちゃんと観るので、それがたまらなく楽しみで。嫁蔵の男の子男の子した、すっころげながら全力疾走しているような感じとはまた違った、「すごく独自の進化をとげたかっこいい音楽」に触れた気がしました。中林キララさんの自在に宙を舞うようなギターがそう感じさせてくれたのかもしれない。
8年くらい前に初めて観た時は、「あー関西アンダーグラウンドってこうゆう感じ〜。かっこよくなくはないけど、ぐちゃっとしてて濃ゆくてあばれてんのね」と思うにとどまったのだけれど、今のオシリペンペンズは、そういう重たいものを放り投げて身軽に、そして鋭く、よりかわいく、なっているのではないかなあ。ドラムのそばで観ていたのですが、すごく変わってました。表面だけをすぺぺぺ、と浚うような軽やかな力ぐあい。あのドラムも「独自の進化感」を出しているのだろう。
モタコさんの動き(あばれ)が、カンフー映画のそれに近づいていて笑った。モタコさんはカンフーがめちゃくちゃ大好きらしい。天井の管に足でぶらさがって、マイクスタンドのマイクをがっと握って歌ったり、なんてゆうの?あの、ブリッジの格好からジャンプで起き上がったりするの、あれやってた。すげー。ただただ暴れるバンドは百も千もあるけど、カンフーアクション繰り出してくるなんてかっこよすぎる。
何より、歌がよかった。覚えやすくて、人懐こくて、切ない歌。げしゃげしゃの声。汗に濡れた髪の中からひかっている目。どきどきしてしまった。
最前列でノリノリになってしまいました。
そして、当マガジンの熱心な読者様ならばよくよくご存知であろう、佐藤幸雄さん。
わたしは佐藤さんをきちんと聴いたことなかったのですが、円盤ですきすきスウィッチの「おみやげ」の映像を2回ほど観た事があり、やたらに頭にこびりついてくるフレーズをつい口ずさんだりはしていました。
月曜のアコさんの記事を読んで、もっと眼光鋭い、ずおおおおおっとしたオーラをまとった方を想像していたのですが、なんだか温厚そうな、健康そうな方でした。
声を発した時、とても澄んでいるのに驚きました。あの年代の人の声にならだいたいは含まれる、えがらっぽさや渋みがない。だからなのか、なんだか、するするするとしていて、通り過ぎていってしまうのを、あれあれあれと追っかけている感じ。
「五年」という曲、たぐちさんが歌っているのを何度か聴いていて、つい最近までたぐちさんの曲だと思っていました。初めてみたとき、ギターを激しく弾きすぎて手から血を流しながら歌っていて、それまで温厚で冷静な人だと思っていたたぐちさんの烈しさをいきなり目の当たりにして、心底びっくりして、こわかったあの体験が強くて、佐藤さんの歌う「五年」はずいぶんなめらかなものに聴こえました。
しかしね、「とてつもなくナマいもんみたな〜」というのがいちばんの感慨です。
ステージに立つのに、あんなに初々しく立つんだなあ、と。
わたし個人の話をすれば、ステージに立つ時は、何か「遊戯空間」のようなものに自分が入っていかないとやれません。その空間の住人に、なり切らないとしっかり力を発揮できない。ライヴの始めに呪文を唱えるのは、そのための儀式です。
が、佐藤さんは、そのまま、そのまま、まるごとそのまんまで、歌詞がつっかえたり、ギターがちょっとぴろーんって鳴っちゃうのも全てそのままで立っていた。拙いのではなく、アコさんが何度も書いているように、「むきだし」なんだろうと思う。
正直、アコさんの文章を読みすぎていて、実物より文章の中に書かれている「佐藤幸雄」の方が興味ある、という状態なのだけれど、とんでもなく初々しくステージに立っていた、あの佇まいについては、これから何度も反芻することになりそうです。
他にも、胸を躍らされた音楽たくさんありました。
テルミンを演奏する手つきがとてもエロティックで気持ち悪くてしびれたand more…、ものすごかわいくておっとりした見た目からは想像もつかないムード歌謡を歌う田淵純さん、金八先生になってみんなに「贈る言葉」を大合唱させて最終的に胴上げされてたボギーさん、ひたすらアツい演奏でむちゃくちゃかっこよかった四日市のバンドAntonio Three、シャイさとうっとうしさとひねくれを予測不可能だけどとてつもなくキャッチーな言葉の弾丸にして撃ちまくってくるまついくん(繁彦)、開始2秒後にスモークの向うにかき消されたアナーキー吉田の無表情ドラムにひゃっぺん殺されそうな水中、それは苦しい・・・他他。
店番してて、見たかったけど見られなかったのもたくさんありましたが、あの場所で役割をもらって働いて、たくさんの人と接する機会をいただけたのが、とてもうれしく幸せなことでした。
2日目、トリ前の水中、それは苦しいがどうしても観たくて、時間が押したら終電に間に合わなくなってしまうので、「搬出手伝うから打ち上げ混ぜてください」とたぐちさんにお願いしていました。途中、そんなに押さずに進行しているので、「あ、これ、わたし今日帰れるかも」と言ったら、「遊ぼうよ!」と言ってくれました。
遊ぼうよ。
うれしかった。あんまり体調が良くなかったのだけれど、たぐちさんから発せられる「遊ぼうよ」、という言葉の力がわーっと体をめぐって、思わず
うん!遊ぶ!
と、笑って答えていました。
搬出を終えて、タクシーで乗り合わせて高円寺に着き、円盤に荷物を運び込んで、スタッフと出演者数名でご飯を食べました。たぐちさんの、某大物ノイジシャンのエピソードがほんとにおもしろかった。
朝になって店を出たら、白んだ空の下、すごくいい風が吹いていました。なんだか、夏祭りが終わって秋が来たくらいのさわやかな風。ほんとうは梅雨が明けて夏が来た、というところなのだけれど。
電車で寝過ごして、最寄り駅に着いたときにはもうかなりの炎天下だったけれども、わたしはあの風のここちよさを引きずっていて、この2日間に目の当たりにした、たくさんの人のたくさんの種類の特殊なパワーのようなものをうまく処理できず、ただただ充足感に浸されていました。充足感と、風のここちよさを混ぜ合わせながら、帰りみち池のほとりに飛ぶハグロトンボや水面のホテイアオイなんかを眺めていると、あの虹色のビー玉の中に入ってしまったみたいな、ふわふわした気分になりました。
素晴らしい夏を、ありがとうございました。