その都は、青紫のジャーマアイリスの花びらで夕闇を透かして見るとぼんやり浮かび上がる。そこへは花びらレンズのめがねをかけて行く。
・・・というメルヒェーーーンな書き出しを思いついたのだけれどそんな調子で書き続けられはしないのです。まあこういう気分で。
以下は、数年前の記録を一部直したもの。
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ピンクのいちごのかばん。
ショッキングピンクの厚手の布でできた、ラウンド型のかばん。持ち手とふちのバイアスは赤。やや小さめ、B5のノートは横にして入るがA4のクリアファイルは入らないくらい。持ち手はギリギリ肩にかけられる長さ。
いちごの花と実のじつに細かいアップリケが全面についている。
フェルトのアップリケは全て手縫いである。本体も一部手縫い。
白い花は、真っ白いフェルトと少しだけ生成りっぽい色のフェルトが使ってあり、花によって使い分けてたり花びらと花芯で変えてあったり、さらに糸も焦げ茶とえんじ色をいろんなパターンで使い分けてある。花芯が薄ピンクや赤のもある。
黄色い小さな花もちらちら入っていて、花びらの数が4つのと3つのがある。
いちごの実は薄いみずいろで、焦げ茶の糸の玉止めで種が作ってある。かたちはひとつひとつ不揃い。
このような手の込んだアップリケが、表だけでなく裏側と両側面についている。とてもよいのは、ポケットの中にもいくつか花がついていて、ふわふわ降って入ってきたみたいでこっそりものすごくうれしい。持ち手の付け根のところにもひとつだけ白い花がついている。これがまた効いている。
爛漫の春だ。ちょっと狂おしいほどのまぶしい春の空気だ。
そこをねえ、さっとカラスが飛ぶ。黒い影がよぎる。実際は濃紺で、焦げ茶の糸でくちばしと目がついている。これによって全体がすごくしまるのと同時に、イメージがざわざわ揺れて見飽きない魅力となっている。
ただあまあまにかわいいんじゃなくて、かわいいっていうことの根っこにある力強さや繊細さや狂気がある。そんでさらに裏地は渋いライオンの柄だ。たまらない。
見た瞬間頭がしびれて、これあたしの!って思った。
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これは、ニヒル牛2で買った、川上りかさんという方が作られたかばんについての記録です。あえて写真は載せない。と思ったら、前にこの朦朧見聞録で既に載せていた。しかし今回は載せない。
そして、これから書くのも同じ方のかばんについてです。想像しながら読んでくださいね。
長四角の肩掛けかばん。キャメル色の、うねの荒いコーデュロイでできています。肩ひもは、深緑色に茶色とオレンジのシックなバラ柄の別珍を使っています。表と裏、どちらにもポケットがついています。表側には、赤とピンクを基調にしたフェルトのアップリケがついています。こんもりとした丘の上に、家があり木があり花が咲き鳥が飛んでいる。ヒツジがいる。
まるっこくてかわいい家は、あたたかくこてっとしたピンク色の壁をしていて、ちっともびしっとしておらず、ぷわーっとあくびをしているみたいに気持ちよさげに煙突から薄ピンクの煙を出している。窓も、四角いような丸いようなかたちで、好き勝手にななめについております。窓の桟(さん)も、縦一本のと、ばってんのと、田の字になってるのと、縦一本に横三本の、といったぐあいで、統一されておりません。濃いピンクのアーチ型のドアも、今にも単体でのこのこ歩き出しそうな斜めっぷり。
そばに、薄ピンクのもこもこした木が生えていて、葉っぱの部分はくりくりとした玉止めで水玉模様になっている。反対側にある丸い赤い花は、家の2階まで届きそうなくらいおおきく、葉は臙脂色。これも水玉です。ピンクの木、赤い木なども生えています。葉っぱ一枚一枚、丁寧に縫いとめられ、葉脈まで糸で描かれている。アップリケというのは、いろんなかたちに切り抜いた布を糸で地の布に縫い付ける方法で、
ブランケットステッチという縫い方ですることが多い。このかばんも、アップリケはすべてこげ茶色の糸で、ブランケットステッチで縫われているのだけど、このステッチはとても時間がかかるのです。ただ布をかがるのではなく、布の輪郭を糸がきっちり囲むように、いったん糸をこう、くぐらせて縫うんですね。それを、このかばんは、とても丁寧に、丁寧に、やってあるのだ。
さて。重要なのは鳥なのだが、その前にピンクのヒツジのかわいらしさにも触れなくてはならない。黄味が強い「ばら色」のヒツジ2頭。鮮やかなショッキングピンクのが1頭。どちらも、頭・手足は臙脂色。ピンク色のもこもこの動物が、草を食んでいる風情だったりなぜか空を見上げていたり。この情景!傍らには全草赤い花。
そして鳥!このかばんには9羽の鳥がついている。赤、ショッキングピンク、薄ピンク、もっと薄ピンク、白。これらは飛んでいて、あっちを向いていたり、こっちを向いていたりする。ちょっと小さいのもいる。わたしは、鳥のモチーフがとても好きだ。えぐいほどの鳥柄のワンピースも、小鳥がプラムを食べている指輪も、鸚鵡の刺繍のTシャツもかばんも持っている。そんな鳥好きゴコロを直撃したのが、ピンクの木と小さい臙脂色の家のあいだっこにちょこんと縫いとめられた、濃いピンクのちっちゃい鳥だった。この子は一羽だけ飛んでないし、ほんとにちびで目立たないんだよ。でも、いちばん濃いピンクを使ってもらってやんの。くっっ!言い忘れた、わたしはピンクという色がとても好きで、だいたいのものはピンクでいいのではないかと思っている。
・・・まだ書くことがある。この、赤〜ピンクの、あたたかくてちいさな、かわいいかわいい世界に風をもたらしているのが、煙突から出た煙がただよっているのか、白いあっさりした、黄土色の小さな葉っぱが控えめに散った布と、赤いタータンチェックの布の、丸いアップリケだ。これらが、ぷわぷわとただよっているさまが、こぢんまりとした丘の景観にリズムを生み出している。
ニヒル牛でこのかばんを見たとき、胸がぎゅううっとなって、目が離せなくなった。かばんは3つあった。他2つは、紺地に寒色系の木とまるっこい車が縫いとめられたもの、茶色のもふもふ生地に大きなりんごの木(すばらしく細かい、たくさんの葉っぱ!)がついたもの。紺のかばんについていた木は、いろんな色のフェルトを一枚一枚葉っぱのかたちに切って、そしていろんな色の糸で縫われていた。もちろん、葉脈も。夢のようにきれいだった。そのそばを走る車は、まるっこくてちっともちゃんとしていなくて、たまらなくかわいいのだった。
わたしはいつもお金がない。その時もなかった。しかし持ってはいた。かばんを見た瞬間に、「買うか買わないか」ではなく、「一体どれを買ったらいいのか」という悩みを抱えていた。かわいすぎるものを見ると、こめかみがずきずきして、それから、なんだか切なくて泣きそうになってしまう。こんなにかわいい、手の込んだ、宝物のような物体が存在することを、にわかにはすんなりと受け入れられなくて、涙が出てくるのだ。これを手に入れられるよろこびに、我が身は耐えられるのかとさえ思う。
ひとつめの青いいちごのかばんを買ったときも、同じ気持ちになったことを思い出した。
う〜う〜唸りながら、わたしはこのピンクの風景のかばんを選んだ。紺色の木のかばんは、やはり川上さんのファンの、紺色が似合いそうなお客さんが買っていき、そして、茶色のもふもふの、りんごの木のかばんは、アコさんが買った。茶色のもふもふは、アコさんが持つととてもかっこいい雰囲気になった。
よいかばんを持ってエメラルドの都に行く
わたしとアコさんは、おそろいのかばんを持ってライヴに行こうと約束をしました。大ファンである手ノ内嫁蔵のライヴに。
わたしは、前日もオールナイトライヴで彼らを観た。ギター(いつもはドラマー)の和田シンジさんをマイアイドルだと思っていて、和田さんはもうひとつ、DODDODOバンドというバンドで出演していた。このバンドではドラムを叩いている。彼のドラムは、聴いた途端に体の芯がぎくっとなって、それから肌の表面でばしゃーんばしゃーんと粒がはじける感じ。聴いているとよく思い出すのは、梶井基次郎の『闇の絵巻』で、闇の中、渓に向かって石を投げていると、柚の木に当たって、「ひとしきりすると闇のなかからは芳烈な柚の匂いが立騰(のぼ)って来た。」という一節の、「芳烈」という言葉。それから同じ短編の中の、黒ぐろとした山の中腹についている電燈について、「その光がなんとなしに恐怖を呼び起した。バアーンとシンバルを叩いたような感じである。」と述べているところだ。これは、シンバルと言っているからそこから連想して思い出すのかもしれないとも思うが、反対に、闇の中に突如あらわれる激しい光のように聴いているからかもしれない。
とにかく、その時体調がとても悪かったわたしは、後で他の楽器構成も覚えていないと判明したくらいに和田さんしか見ていなかったし、あのドラムの音に根こそぎ心を奪われるということだけはよくよくわかった。弱っている時に意識に入ってくるものは、限られている。
しかし、手ノ内嫁蔵でまず目がいくのはボーカルの石井モタコさんだ。モタコさんはなんだか、キラキラしたものが出ている。それから、なんとせつない生き物なのだろうと感じる。
手ノ内嫁蔵のライヴが始まると、具合の悪さは嘘のように吹き飛び、わたしは最前列でノリまくっていた。悪ガキが投げた缶の中身を浴びてモタコさんのカンフー服はびしょびしょになった。
そして翌日。おそろいのかばんを提げたわたしとアコさんは、椅子席でライヴを観ることを残念がりながらも、ボリューム・内容ともに大満足のライヴアクトに、「嫁蔵最高だね」と盛り上がった。なんと、和田さんにサインと握手までしていただいてしまった上に、ベースのトメダトメ吉さん、ドラムの谷村じゅげむさんがラーメン屋を真剣に探す様まで見てしまった。さらに、ライヴが終わったあとしばらくして、メンバー全員が「てのうちー!よめぞうー!」と円陣を組むところまで見てしまった。わたしたちは感激した。「いつだって、彼らは全開で、本気なのだ」と。
これらの最高の出来事と引き換えに、わたしは携帯電話を落とした(後日、見つかった)。
さらにその翌日。高円寺に「円盤国際映画祭」を観に行った帰りのことだ。電車の中で、手ノ内嫁蔵の「さんくちゅありぃ」を聴いていた。じゅげむさんが加入する前の3人編成の時代のアルバムで、和田さんはドラムを叩いている。楽器がベースとドラムだけで3人歌うというおかしな編成の中、ドラムがバカかっこいい、痛快なアルバムだ。3人のやんちゃガキが、転げまわりながらゲラゲラ笑いながら作りましたという感じが生々しく収められていて大好きなのだ。最寄り駅につき、改札を出て、「ヤング団」という曲を聴きながら、思わずとびはねるように歩いていた。ヤング、ヤング、ドリーミンブロークン。空を見たら、月がものすごく光っていた。月に照らされた雲も、銀色のグラデーションで光っていた。空は、吸い込まれそうにまっくろだった。胸のざわつく、ドラマティックでかっこいい空模様だった。ふいに、神聖な気持ちがわいてきた。
「ああ、手ノ内嫁蔵、ほんとに大好きだなあ」
その気持ちは、ざわざわと波のようにやってきて、しみじみと全身を包んだ。涙ぐむくらい、まばゆい気持ち。
彼らの音楽は、肉体と時間がぴったり重なっているところから出ている。頭の中の考えと音が乖離していたり、肉体が伴っていなかったりすることがない。丸はだかの、熱い音。だからといって単純なメッセージや、バカストレートなのでもなく、ポエジーとユーモアに満ち溢れている。特に、モタコさんを見ていると、時間と肉体がいつもギリギリのところでせめぎあって、毎瞬毎瞬爆ぜて、青白い火花を散らしているようなイメージを受ける。それが、モタコさんに目を奪われる理由であり、「せつない生き物だ」と感じる理由なのかなと思う。
あんなふうに、びっちりオンタイム(オンボディ)なライヴを見せてくださってありがとうございますそれはとても尊いですと、わたしは涙ぐみながら心の中で嫁蔵にお礼を言った。
かばんのことと、嫁蔵のことを書きたくて、じゃあかばんを持って嫁蔵ライヴに行った話だね、と思ったら、きれいなものに囲まれてんじゃんね、わたし、と思い、なぜか、エメラルドの中にいるようね、とエフェクトがかかり、このタイトルになりました。どうやらメルヘン脳が活発化しているようです。別に恥ずかしみません。