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  • 2017.06.09 Friday
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誰も見てない乱れ打ち 3

数年前、庭に桑の木が勝手に生えてきた。

成長が早く、2年くらい経ったらもう実をつけるようになった。

初めの年は申し訳程度だったが、どんどん実付きがよくなってきている。

だが、その中にかなりの確率で、青白く肥大するものがある。

 

虫こぶかな、と思った。ある種の虫が産卵すると、その植物組織は正常に成長せず、

タンニンなどが以上分泌されて肥大したりちぢれたり変色したりする。虫の住処になるのだ。

その、虫でも植物でもない「虫こぶ」という有機物にゾクゾクするんだが、どうやら違うようだ。

春にキノコの胞子がついた桑の雌花が、青白く肥大するんだそうだ。

胞子がつかなかった雌花はふつうに赤黒く甘く熟し、食べても問題ない。

肥大した実は、木の下に落ちるとそこからキノコが生えて翌年また寄生するので、

もいで遠くに投げるといいらしい。

 

それでわたしは桑が熟し始めてから毎朝、キノコ桑をむしっては少し離れた草の中に投げていた。

木からぼろっと外れるくらいまでに肥大した青白い実はぶゆぶゆになっており、不用意に力を入れると

べちょっと潰れる。中は、正常な実を潰した時とはぜんぜん違う、果実感のない黒いどろどろ。

気持ちが悪い。これは地面に落ちると真っ黒い菌核というものになる。もうだいぶキノコ寄りなようだ。

 

気持ち悪いし、桑の実を楽しみにしている実からすれば目の敵なのだが、

この「クワ実菌核病」のことがやたらに気になっている。

虫こぶみたいだからだろうか。

 

なんか、曲とかに入れられないかなーとこねくりまわしているけどむずかしい。

 

植物と伝承みたいなものにだいぶ興味が向いている。

桑は、蚕の食草であるところからいろいろいろいろありそう。知りたい。

 

前は縁もゆかりもない言葉を使ってまったく自分ではない歌を、

やらされているアイドルというスタンスで歌いたいと思っていた気がするが、

今は、昔からあるまじないの言葉みたいのを井戸から汲み上げて、納得のいくかたちに練り上げて、

昔からあるまじないとは違うかたち、気に入るかたち、自分にとっての新しいまじないにしたい、

という気持ちがある気がする。それって、鼻歌かもしれないな。

 

つづく、かな。

 

 

 

 

 


誰も見てない乱れ打ち 2

一人カラオケしててドリンクを取りに通路を歩いてる時、いろんな部屋から漏れ聞こえてくる歌。

あれを聴いて、な〜んでみんな同じような声色なんだかな、と不思議に思った。

たまに、そんなには仲良くない人とカラオケ行くことになるとやっぱりその声色で歌ってることが多い。

 

あのー、鼻に抜いて喉でしゃくる系の。ビジュアル系由来なのだろうか。

まあイラっとするわけだが、この、声色つーか発声法が一般化してるカラオケ界はなんなのかな、

そもそも声色ってなんなのかな、

そしてこんなに誰もが歌ったり踊ったり(だって学校で必修科目だったりするんだろ、ヒップホップ)する中で、

別に天性のボーカリストでも身体能力のすぐれたダンサーでもないわたしが、

人前で歌踊りを披露するってことはなんなのかな、とぐるぐるし始めてしまった。

その意義はオリジナリティ、ではない。本人がそう思ってない。

 

とりあえず声色について。

歌ってものが生まれたはじめのはじめの頃は、ってまた勝手に想像しているんだが、

声色には意味があったはず。

獣を追い払うとか家畜を呼ぶとか雷を避けるとか祝祭のイレギュラーさを演出するとか求愛とか。

それが、歌が生まれてものすごく時間が経ったら、カラオケで鼻にかけて喉でしゃくるという、びっくりな変わりよう。

あ、もしかしたら求愛のバリエーション(自己愛含む)なのかもだけど。

 

わたし自身は、カラオケは、聴いたままの声を自分から出す、という歌い方。

チャゲアスだったら飛鳥のねばっこいまたはチャゲのハイトーンクリアでもねっとりした歌い方、人間椅子だったら研ちゃんのがなりうなり唱法または和嶋さんの変に力の入った歌い方。つまり歌真似か。できてるかは別にして。

自分の曲ライヴでやる時は、曲を作った時にこういう感じだからこういうボーカル、というとこまでできるのでそれに近づける。

だから自分が歌う時の声色についてそんなに深く考えたことなかった。

 

しかしちょいと、この声色はこういう意味あい、みたいのを思い浮かべながらやってみるのも面白いな、と思い至りました。

それがどう反映するかはもう少し練習してみないとわかりません。

 

つづく


誰も見てない乱れ打ち

 

これに出るんですよねー。これの前にライヴをしたのは約1年前、エーツーの20周年。

その間はだいたい野ゲーキ絡みのことでしか人前に出ておらず、歌って踊るのはとても久しぶり。

私事ですが転職もしてばたばたしてたり労働時間が延びたりして、人様のライヴにもほとんど足を運んでおらず。

正直、音楽にがつがつとした飢餓感をおぼえなくなっている近年です。

年なのか、とんがった、同時代的な、ひりひりする、ネット世代のカリスマ〜みたいなのにはとんと興味が持てぬ。

バンドは手ノ内嫁蔵が最高峰だと思ってて、それくらい良くないとライヴ行きたくないし。

 

という中、興味あるな〜と思い始めたのは、仕事歌。

転職する前、仕事があまりにも肉体的にきつすぎて、これ、歌いながらやっちゃだめかな、と思ったのがきっかけ。

こっそり、口の中でもにょもにょ歌うと、きつさが緩和されるんですね。

んで、たまたまネットで見てた地方の名物とかを紹介する番組で、塩田の作業がきついのでそれをまぎらわすための労働歌ができた、ということを紹介していて、わあ!と思った。

そう、何かの本でだったか、昔は仕事をしながら歌う歌ってのがあったけど今は仕事しながら歌ってると怒られる、という旨のことを見かけて、その時はふーんと思いこそすれ、実感を伴ってはいなかった。

塩田の労働歌のことを知った時に、同時代的なヒリヒリ感なんかメじゃない、肉体から出た、厚みのある、見せたり見られたりする必要のない歌ってものが、いろんなとこにあるんじゃないかー!と興奮した。

 

だけど、そういうものだから、あんまりホイホイ売ってたりしないのであった。

あと、わたしが興味あるからと言って買い漁ったり資料読み耽ったりする勤勉さを持ち合わせていないので、勝手に想像して、そういうものを作りたい〜とかほわほわ思ってるだけなのだった。

 

つづく。


エーツーは二十歳になりました。

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直前のお知らせになりましたが、三、四年ぶりくらいにリーベと二人でエーツーします!平日昼間ですが、ご都合あえばぜひいらしてください。物珍しいものが見られると思います。

もう明日ですがライヴのお知らせ

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ご無沙汰です!2コです!活動の告知をするために地獄から蘇って参りました!

まずは明日のライヴ!画像のチラシを参照ください!

呼んでくれた早川パワーくんのバンド・ハズレッシヴは、エーツーが初めて東京でライヴした時にできたお友達。なんともう15年前のこと!うわー。またハズレッシヴとライヴできるの、嬉しいなあ。

15年前、吉祥寺のスターパインズカフェで行われたオールナイトイベントに、5分の持ち時間をもらい、エーツーは作りたての装飾雨ガッパを引っ提げて出掛けました。19歳くらいでした。

一度もマイクを持って踊ったことなかったのに、会場に着くなりコレ持ってやってねー、とマイクを見せられ、やばい!振り付け変えなきゃ!と夜の井の頭公園でホームレスのおじさんたちにヤイノヤイノ言われながら練習しました。イベントが始まると、そのトンガった感じに呑まれ、ぎゃーどうしよう!こん中で「とことん古河っ子とかいなか」やんのかよう!とスーパー怖じ気づきました。そんな時、同じ匂いをさせている人たちがいました。「横断中」の黄色い旗を持って「本物しかいらない」と歌ってました。ライヴの後、ヒロくんが話しかけてくれて、「遊ぼうよ!」と言ってくれました。エーツーに遊ぼうよ!って言ってくれる人がいるだなんて!ありがとうハズレッシヴ!!

スタジオで即興でできた曲を練り上げて演奏するスタイル、だと思われるライヴ。青春のキラキラしたとこだけが脈絡なく押し寄せてきたり、思考のすきまにぼんやり漂ってる言葉とかが強烈に前に出てきてたりする、ハズレッシヴの世界はたのしい。


それから、ニヒル牛の旅の本展に合わせて、旅本を書いています。ミッシングいろり箱庭の穂高亜希子さんと、去年の夏に突然一泊することになった時のこと。
亡くなった、ミッシング箱庭の大柴陽介くんのことも出てきます。ちょうどお盆だったので、大柴くん来てるね、きっと彼がこういうふうに巡り合わせてくれたんだね、と話していました。可笑しな出来事もたくさんありました。ライヴでも売ります。


さらに!高円寺円盤から発刊された『COMICミツザワ』誌上にて「あいどる道」連載しています。只今2話まで掲載済み。中学編です。思い入れが強すぎて、あと構成が下手すぎて、字の多い読みづらいまんがになってますが改善していこうと思います。ニヒル牛でも買えます。


で、大切なお知らせ!
5月7日でエーツーは20周年を迎えます。これを記念して、そろりそろりとライヴ活動を再開していこうかと考えています。つきましては、6月のどこかで、3、4年ぶりくらいの二人揃ってのライヴをしようと思います。2歳になったリーべの息子ガガーリンが、熱を出したりしたらわたしのソロライヴになりますが、という条件つきで。日程が決まったらまたお知らせします。どうぞよろしくお願いします。

ご無沙汰しております

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最近、少しおとなげな服に目が行くようになってきました。

あと気に入っているのが黒モコモコがついたくつしたと黒リボンシューズの組み合わせ。黒を組み合わせるのも好きになってきた!

服装9月某日 ゴリラ

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先日とはうってかわって、子供っぽい服を。これも服の整理してたら出てきた、バーバパパ(のうちのバーバ何か)とゴリラのタンクトップ。タンクトップにカーディガンで過ごせるの、今の気候ならではだなと。袖なしの服を袖ありの服の上に重ね着するの、負けな気がして避けたい。重ねるなら、1枚で着た上に羽織るもの重ねたい。


ところでニヒル牛2「さいごの野あそび」展に出品した『2コの野あそび』、完売したそうです。ありがとうございました。お店にサンプルはありますので、じっくり、座ってご覧になることもできます。他の出品者のかたの作品も素晴らしいです。ぜひお運び下さいね。

服装9月某日 紅葉

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長袖の服を整理してたら出てきた服を着てみた、という日です。今はなき、西荻窪ロック食堂のフリマで、知らない人にもらったインド綿のサイケな服。会社のじーちゃんに、あんたもう紅葉しちゃったの?と言われました。秋色の服なんかいらねえよ、年中蛍光毒々カラー上等!って思ってましたが、最近、暗めのくすんだ色にも目が行きます。人生の秋かよ。

さいごの野あそび 番外編

25日からニヒル牛2で、「さいごの野あそび」展が始まります。この展示に合わせて、わたくし2コの、草花とのたわむれについて書いた本『2コの野あそび』を発売します。装丁・製本は、吉祥寺のクイーンズホテルアンティークのりみさんにお願いしています。野ゲーキの写真も入ります。只今ニヒル牛2で展示「Kは見ていた」開催中のカブラギさん、大先輩・プリンのため息のミツリンゴさんによる野ゲーキ写真も収録予定です。

そして、初日25日には、わたしはなんとなくお店にいて、近隣の草花を集めて野ゲーキしたり、買い物したり、お客さんと草花トークかましたり(不要な場合はすごすご引っ込みます)したいと考えています。カモン!たつお!

それで、服装の更新ばかりになってしまった当ページにも喝を入れるべく、本でボツにしたエピソードが、どちらかというと朦朧見聞録向きだったので載せますよ。お読みになって。


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桑とバラモンジン

 この本を書くために幼い頃の草花遊びの記憶を辿っていたら、居ても立ってもいられなくなり、生まれ故郷の上田を約5年ぶりに訪れた。生家の近辺をゆっくり歩くのは15年ぶりほどにもなろうか。

通っていた保育園の前を通ったあたりで完全に時間が巻き戻ってしまった。生家の裏側の、大学の敷地を取り囲むように流れているどぶ川。引っ越してからはいつも夏ばかりに帰郷していたから、上田の記憶の大半は夏だ。ガードレールも何もないどぶ川のふちを歩きながら、いつも流れに沿ってなびく緑色の長い藻ときらきら眩しい水面を見ていた。そこは何ひとつ変わっていない。なびく藻を見ているわたしのまなざしは、3歳のでもあり10歳のでもある。川をはさんだ大学の敷地に赤いタチアオイが咲いているのに遭遇した時にはくらくらした。

生まれた家は学生向けのアパートになって跡形もなかったが、塀の向こう、祖母の寝室の窓から見えていた大きなケヤキの木は健在で、わたしもその部屋に寝かせてもらっていたことがあったので、眠りを見守ってくれてありがとうという厳かな気分になった。セミがたくさん止まって早朝からミンミンと騒がしい木ではあったが。

上田の街には高低差と細い抜け道が多い。駅の周りはずいぶん様子が変わってしまったが、少し歩くと猫の通り道のような路地が無数にあり、わくわくしながら入っていくと古びた人家やトタン塀、色とりどりの草花がごたごたと並び、ノスタルジックな気分が押し寄せる。細い坂道というものにもわたしは心惹かれる。日傘を差して坂道を下りる祖母の後ろ姿がきれいだなと、写真を撮ったこともある。こういう地形はどこか夢の中を思わせる。

養蚕のさかんな地だったため、そこかしこに桑の木がある。上田城の周りの街路樹は枝垂れ桑だ。スーパーには桑の実のジャムが売っている。だから、桑という植物にはとても親しみをおぼえる。今住んでいる家の庭に数年前とつぜん桑の木が生えてきた。鳥の落とし物から芽生えたのだろう。この辺ではあまり桑を見ないから、初めの数年は、桑によく似ているコウゾかなと思っていた。コウゾの実は食用に向かない。子供の頃食べたことがあるが、毛が口に刺さるし、ねちょねちょとうすら甘いだけでおいしくなかった。桑だといいなと思いながら抜いたりせず成長を見守った。

桑の木は雌雄異株であることが多いと知り、「メスの桑メスの桑」と念じ続けた。果たして昨年、初めての花をつけた。これは、この花は、桑だ。わたしは驚喜した。庭に生えてきた桑の木から採った実でジャムが作れる!夢のようだ。季節の果物でジャムを作るのはここ数年の習慣となっている。まだ若い木であり、サッシのすぐそばに生えたものだから両親がばさばさ伐ってしまうというのもあり、実のつきは良くなかった。ジャムを作るには量が足りない。しかし、桑のある暮らしに馴れた目で見ると、桑というものはじつはそこいらじゅうに野生化していることに気づく。仕事の帰り、少し遠回りして野良の桑の実を摘んでいく。摘んだ実の様子を見るに、野生化しているものの中にも何種類かあるようだ。それらを足して、やっとある程度の量のジャムを作ることができた。

今年は、保存用の小さいホーロー容器を直接火にかけて少量を煮て、新しく熟すたびにそこに少しの砂糖とともに足して煮直した。パンに塗って食べるとぷちぷちとした小さい種が小気味よく、濃い紫色をそのまま味にしたような深みのある甘さが口の中に広がる。豊かな風味だが決して重たくなく至って素朴なものだ。それが好ましい。

それから特記するべきは、桑の新葉の美しさだ。これを目の当たりにしたら、コウゾとの違いなど歴然たるものなのだった。ぽつんと出てきた小さな芽が、みるみる膨らんであっという間に透き通るようなきみどり色のやわらかい葉に展開していく。重なって光に透ける様子は息を飲むほどだ。それで納得がいった。養蚕が世界各地で根付いて続いてきた要因のひとつはおそらく、蚕の食草である桑が栽培しやすく成長の速い植物だからだ。もし蚕の食草が、芽生えにくく土壌を選びひと月に3枚くらいしか新しい葉を出さない植物だったなら、とても産業にはならないだろう。

桑への想いを新たにしながら、なおも歩く。うちを出て、左下の方。夢には、生家と前の家がわりと頻繁に出てくる。どちらが出てくる時も、たいてい何者かに追われて逃げる夢だ。上田のうちの時は、何故かいつも左下に逃げる。坂道の途中にケンタッキーフライドチキンがあって、その手前を左に入る。大きな道に出るとつかまってしまうから、細い道をどんどん行く。植物が茂っている。その通りに歩きながら、「あ、これ、夢でよく逃げてくる辺りだ」と思っていた。時間も世界もぐにゃりと撓んでしまったようで、こういう気持ちにいつだってなりたいのだとほくそ笑む。

その時、草ぼうぼうの空き地に不思議なものを見た。褐色の、幾何学模様のぼんぼり。あまりにこの気分に似つかわしい、夢の中っぽい何か。それはどうやら巨大な綿毛のようなのだった。けれど、まだ開ききっておらず、ふわっと広がるはずの先端がくっついたままなものだから、筋の入った紡錘形の集まりの骨格、といった感じの見慣れないかたちになっていたのだ。こんなばかでかい綿毛は見たことがない。草全体の様子からするとアザミでもないし。

わたしは狐につままれたようになって、とりあえずその綿毛をひとつ頂戴し、またふらふらと歩き始めた。綿毛は触った途端にふぁっと開き、見慣れた形になってしまった。調べたところ、バラモンジンという植物だと思われる。蚊に喰われながら綿毛を提げて気の赴くままにこれだという路地を入っていくと、ひとのうちに入ってしまったのかと錯覚させるくらい庭や畑が近いところを彷徨うことになった。ほとんど人と遭わないのも現実感を失わせていく。

こつん、ころこと音がして、トタン屋根づたいに青く小さい柿の実が落ちてきた。それをすかさず踏みながら、誰もいない路地を歩いていてこんなふうに、ちょうど目の前に柿の実が落ちてくる確率ってじつはものすごく低いんじゃないだろうかと考えて、少しこわくなった。



池をたずねて

祖母に連れられて行った散歩のコースのうち、最も遠くてスペシャルに感じていたのが「ときだいけ」だった。祖母は「ときだけ(アクセントは平坦)」に近い発音で言っていた。夏の帰郷の折にも全く寄らなかった場所なので記憶があまりにおぼろげだったが、そのスペシャル感だけははっきりと残っていた。

せっかくの「取材」なのだからまた行ってみようとインターネットの地図サービスで名前を入れてみたが出てこない。あの近辺だけで呼ばれていた愛称なのだろうか。だが、名前こそ表示されないものの、ここではないかという水たまりが地図上にはあり、ほとりに「レイクサイド」というホテルがある。久しぶりに会った祖母に確かめると、「湖?だれー(違うよ、の意)、ときだ(い)けはときだ(い)けだに。あっこ(あそこ)はうちからもっと上の方に行ったとこ。昔はなーんもなかったけどさ、今は家がびゃーっと建っちゃってね」ということで、地図で出てきた水たまりがやはり「ときだいけ」なのらしかった。

歩きすぎてもう足が痛かったがここだけは行ってみようと、地図を参照しながら歩くと何のことはない、大学の敷地を越えて道を渡ったらもう着いた。とは言え、未就学児の足では結構な距離だろう。「うわー、あった!」と思わず声が出た。記憶の中よりは小さいが、記憶の中より小さいんだろうなと思っていたよりは大きい池だった。池のほとりは遊歩道になっていて、桜が植わっている。叢の中にホタルブクロが咲いていた。当時はもっと鬱蒼としていたように感じていた。何にせよ、長いことぼんやり気になっていた場所をこの目で確かめることができて満足した。




服装9/5 白黒

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白黒の柄物ばかりにしてみました。ロックキッズな感じで。オシリペンペンズのタイツです。ニヒル牛で買ったビーズの指輪、初めはメタリックなカラフルで、次第にそれが剥げてってあらら、と思ってたらまばらに黒ずんできてめちゃかっこいい。よく写らなかったけどね。

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